目吹城は、永禄~天正年間(1558~92年)頃の城と伝えられている。伝承では、古くは後三年の役の頃に鎌倉権五郎景政の知行地で、後三年の役で清原武衡の家臣鳥海弥三郎に眼を射られた景政が、豪勇にも自らその矢を抜いて戦い、合戦の後にこの地で傷を治したと言われ、それが「目吹」の地名の元となったとも言うが、伝説の域を出ない。時代は下って永禄年間(1558~70年)には近江から佐々木義信が来住して城を築き直し、また義信の出家後の1582年には小田原北条氏の家臣丸山将監が城主になったとも言う。しかしこれらの伝承も確証はないらしい。
目吹城は、利根川南方の比高10m程の段丘上に築かれていたらしい。以前は段丘の縁に建つ民家の脇に城址標柱があったらしいが、現在は無住となっていて、民家の周りはトラック展示場や砕石を敷いた空き地に変貌し、標柱も撤去されていた。尚、付近には城宿、門城などの地名が残っているらしい。また城跡推定地の西方約1kmのところには、「鎌倉権五郎目洗いの池」がある。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.969073/139.892849/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

エミシはなぜ天皇に差別されたか: 前九年の役と後三年の役 - 林 順治
ラベル:中世崖端城








