南山城は、島尻大里城とも呼ばれ、三山分立時代に南山王(山南王)の居城であったと言われている。南山王統の歴史は詳らかではなく、諸説あってその系譜は俄には明確にできない。居城についても、この南山城の他、島添大里城であったとする説もある。中華帝国・明王朝の『明実録』からは、太祖洪武帝(朱元璋)の時代に山南王が盛んに朝貢したしたことが知られ、南山文化を花開かせていた。15世紀に入ると、中山の尚巴志に攻め滅ぼされ、南山王統は滅亡した。
南山城は、ほぼ平地に近い比高わずか数mの小台地に築かれたグスクである。現在は、城域の東側1/3は南山神社のある公園となり、残り2/3は高嶺小学校に変貌している。公園の東面と南面には切石積みの石垣があるが、これは小学校建設の際に積み直されたものと言われ、往時の遺構ではない。しかし復元石垣だけかと思ったら、実はしっかり遺構の石垣も残っており、公園の北辺部に数十mに渡って野面積みの石垣が確認できる。さすがに往時の石垣は、復元石垣とはその風格が違う。公園の北西部には隅櫓らしい土壇もある。かなり改変されているのではっきりとはわからないが、単郭のグスクだった様だ。あまり要害性の高くない地勢とグスクの規模・構造を考えれば、南山王統の本城としてはやや不自然さを残すグスクである。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/26.127257/127.690090/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
ラベル:琉球王国のグスク

