岩古谷城は、山家三方衆と呼ばれる奥三河の土豪の一、長篠菅沼氏の祖である菅沼満成が永享年間(1429~41年)に築城したと言われる。その後、2代元成が長篠城を築いて移った後、1575年満直が城主の時、武田氏に属して長篠合戦に敗れ、廃城となった。
岩古谷城は、標高799mの峻険な岩古谷山に築かれている。登山で有名な山なので、登山道が整備されているが、一部に急峻な登路もあるので軽装での山登りは避けるべきである。私は西麓の堤石トンネル登山口から登った。途中、不動堂・不動滝がある平場を経由して、猿すべりと呼ばれる岩壁の脇を登っていくとガレ場があり、ここには城井戸の標柱がある。城井戸の上方には井戸曲輪という水の手防衛の曲輪があるらしいが、絶壁に阻まれて登ることはできない。城井戸から登山道を更に登っていくと、北西に伸びる支尾根に到達するが、ここからが本格的な城域となる。ただ、城と言うにはあまりにもささやかな遺構で、小規模な平場群が散在するだけであるが、平場群は明瞭で、それぞれに標柱と簡単な解説文が書かれていて大変助かる。現地解説板の縄張図に従って書くと、北西の支尾根には北四曲輪~北六曲輪があり、北六曲の先にも大手口と物見台がある。一方、北四曲輪の南東下に腰曲輪状の北三曲輪が置かれている。北四曲輪からは谷地の斜面に敷設された登道を登っていくが、途中に腰曲輪状の北二曲輪・北一曲輪がある。更に登って主尾根に到達すると、最初に現れるのがベンチが設置された円形の平場で、ここが本曲輪である。主尾根は岩場の多い細尾根の稜線で、本曲輪の南西には南物見と大岩の上の西物見、北東には東物見とその少し先に東曲輪がある。東曲輪の先の尾根先端には岩塊があり、鍵掛け岩と言って、岩場を下っていく道から長い綱と鉤によって籠城時の兵糧を運んだところと伝えられる。以上が岩古谷城の遺構で、ほとんど居住性のない峻険な山城で遺構わずかだが、山上からの眺望は格別で、城巡りよりトレッキングとして行った方がよい山である。
北西の支尾根の北五曲輪→
スーパー地形で見た岩古谷城↓
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.087285/137.600548/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
ラベル:中世山城















