新城古城は、1532年に菅沼定継が築いて大谷城から居城を移したとされる。大谷城に対して新城と呼ばれたが、後の1576年に奥平信昌が築いた新城城と区別するため、後年に新城古城と呼称された。定継は田峯菅沼氏の嫡流であったため、数年後に田峯城に移って家督を継ぎ、代わって弟定氏が新城古城に入った。1556年、亀山城主奥平貞勝が今川氏から離反した際、定継は奥平氏に与して蜂起した。しかし実弟たちや主要な支族の多くは今川方に留まったため、一族相克の状況となり、同年8月に今川義元の軍勢に攻撃されて定継は討死した。1562年、野田城を押さえていた今川勢は、元城主の菅沼定盈に城を奪還され、今川勢は撤退の帰路、新城古城を攻撃した(石田合戦)。定氏は今川勢を撃退したが、損傷が著しかったためか新たに杉山端城を築いて居城を移し、新城古城は廃城となったと言う。
新城古城は、豊川北岸の幽玄川との合流点西側に築かれていた。往時は60m×60mの規模の方形単郭の城であったとされ、南以外の三方に土塁を廻らしていたらしい。現在は住宅地と畑に変貌しており、遺構はほとんど残っていない。車道脇の植込みに城址標柱が立っているが、ここはおそらく城跡の北西角に当たると思われる。後で調べたら、東側の幽玄川に面した所に高さ30cm程の土塁状の高まりが30m程に渡って残っているらしいが見逃した。いずれにしても、ほとんど失われた城である。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/34.893489/137.494534/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

駿河今川氏十代 (中世武士選書25) - 小和田哲男
ラベル:中世崖端城



















