〔訪城日:2025年11月下旬〕
蟇目楯(蟇目館)は、蟇目(ひきめ)氏の居城である。蟇目氏の事績については手元に資料がなく、不明である。
蟇目楯は、閉伊川蛇行部の北西にある標高139mの山上に築かれている。明確な登道はなさそうだったので、山の南西にある谷戸を少し入ったところから、東の斜面に取り付いて、斜面を直登した。城域は大きく2つに分かれており、南の尾根先端部に構築された南砦と、東西に横たわる主尾根に築かれた主城部である。先程の東の斜面を登っていくと、最初に南砦の西郭に至る。南砦は中央に削平の甘い主郭を置き、その周囲に1~2段の腰曲輪を築いている。また北・東・西の三方の支尾根には舌状曲輪を配置している。西と南の尾根には小堀切を穿ち、西尾根では堀切の先に前述の西郭がある。また北尾根の曲輪の西側側方に2段の帯曲輪を築き、北尾根の付け根付近の西側に竪堀を落としている。北尾根曲輪の先端には、主城部との繋ぎの尾根を分断する堀切・土塁が築かれている。ここまでが南砦で、そこから北に伸びる繋ぎの尾根は自然地形のままであるが、やはり西側にだけ帯曲輪が1段築かれている。尾根を登った先に主城部の二ノ郭がある。ただ二ノ郭とは名ばかりで、削平も甘く、切岸も不明瞭なほとんど地山のままであるが、北西の背後尾根には二重堀切が穿たれている。この二重堀切は、尾根から落ちたところで南に向きを変えて斜面を横断する二重横堀に変化して走り、先端で再び屈曲して二重竪堀となって落ちている。これがこの城の最大の見所である。二ノ郭から東に向かって平坦な尾根があり、その先に主郭がある。二ノ郭と比べると、主郭の方が広く、内部も平らで切岸も多少はっきりしている。ただ主郭周囲にはほとんど明確な防御構造が見られない。唯一、主郭から南東の尾根を下って140m程離れた所に、もう一つの二重堀切が穿たれている。以上が蟇目楯の遺構であるが、主城部よりも南砦の方が防御構造がはっきりと普請されているのが不思議である。主城部と南砦とで、使われた年代が異なるのかもしれない。
二ノ郭南東の二重堀切→
↓MPI赤色立体図で見た蟇目楯(出典:全国Q地図〔国土地理院測量成果〕)
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/39.637102/141.836957/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。
ラベル:中世山城



















