碓氷峠城は、2017年に発見された城である。城発見が発表された当時は「1590年の小田原合戦時に、松井田城攻撃に向かう北国勢(前田利家、上杉景勝、真田昌幸らの連合軍)が中山道を押さえるために築いた陣城」と推測されていた。その後の古文書等の調査研究の結果、碓氷峠城は1590年3月15日以降に上杉景勝が築いた陣城で、景勝はこの城に入った後、周囲3里(約12キロ)を制圧、前田利家が1日遅れて着陣したことが判明したという。
碓氷峠城は、新聞各紙に発見の報が掲載されたので、発表当時キャッスラーの間でもかなり話題になっていて、ホームページやブログで中世城郭を紹介している猛者の方々が相次いで訪城していて記事を載せていた。私もいずれは行きたいと思っていたが、なかなかこの地域に行く用事がないまま時が過ぎてしまっていたが、昨年末に軽井沢に行く用事があったので、遅まきながら訪城した。
碓氷峠城は、碓氷峠にある熊野皇大神社から東北東約300mの位置にある。熊野皇大神社前を通る車道を北東に進み、カーブのところから国土地理院地形図にも破線で示されている旧中山道の山道に入り、そこからわずか100m程で城に至る。遺構はかなり明瞭で、土塁と空堀がはっきり残っている。旧中山道が子持山方面に降っていくすぐ脇にあり、堀底道の様な旧中山道と曲輪との接続部には枡形虎口と思われる方形の空間がある。主要な曲輪は3つで、中心部にあるのが主郭と思われ、横長長方形で後部に土塁を築き、背後に空堀を穿っている。主郭内には墓地がある。主郭の前面から左翼にかけては二ノ郭がある。二ノ郭の前面にも空堀があり、その南側は起伏のある地形が広がっているが、一部の土塁状遺構を除いて切岸が不明瞭で、自然地形なのか遺構なのかわかりにくい。ここにも枡形虎口のような地形がある。一方、主郭の後方には空堀を挟んで三ノ郭がある。三ノ郭も主郭と並んで遺構が明瞭で、細長い長方形の曲輪の後部から右翼にかけてL字型の土塁が築かれ、やはり背後には空堀が穿たれている。この他、周辺には旧中山道とは別の山道や、小さな方形の区画があったりするが、城との関係はよくわからない。以上が遺構の概要である。
それにしても、旧中山道の真横にあるので江戸期から明治期まで多くの旅人がこの城の脇を通っていたのに、なぜこれまでこの城が未発見だったのか、とても不思議に思った。しかも主郭には墓地もあるので、墓参りに来ていた人もいたはずなのに・・・。その謎は、この1ヶ月後に日光市内の公園内で小倉山城(鳴沢城)を発見したことで解けた。中世城郭を知らないほとんどの人には、キャッスラーならはっきりわかる城郭遺構もただの地形の起伏程度にしか認識されていないのだと。
枡形虎口らしき方形空間→
お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.370166/138.660142/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1





















