2025年02月25日

中釘陣屋(埼玉県さいたま市)

DSCN0498.JPG←陣屋付近の現況
 中釘陣屋は、指扇領主であった旗本山内氏が築いた陣屋である。初代豊前守一唯は、土佐藩初代藩主山内一豊の甥で、兄の忠義は1605年に一豊の跡を継いで土佐藩主となった。即ち一唯の家系は、土佐藩主の実弟の家系ということになる。大阪冬の陣の際、兄忠義が江戸から出陣したため、一唯は土佐藩士を率いて将軍徳川秀忠の麾下に属した。1616年に幕臣となり、以後は将軍の上洛や日光社参にしばしば供奉した。そして1623年に将軍秀忠から指扇領18ヶ村3,000石を拝領し、中釘に陣屋を構えた。以後、一輝、一俊、豊房と4代67年間にわたって続いたが、豊房が土佐藩山内宗家の豊昌の養子となったため、その采地は上知となった。

 中釘陣屋は、往時は低湿地に半島状に突き出た台地上にあったらしい。しかし現在は耕地化で周辺一帯は改変され、遺構も全く無くなっている。陣屋があった付近には2軒の民家があるが、『日本城郭大系』によれば、「陣屋」「堀の内」の屋号が残っているという。従って、2軒とも陣屋跡地の中にあるのだろう。遺構は全く無いが、北東にある妙玖寺には山内一唯一族の墓が残っている。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.930889/139.563133/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
ラベル:陣屋
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2025年02月23日

川崎平右衛門陣屋(埼玉県鶴ヶ島市)

DSCN0316.JPG←陣屋跡に立つ川嵜大明神
 川崎平右衛門定孝は、この地域の新田開発に功績を挙げた人物で、その際に拠点として陣屋を設けた。平右衛門は、元々1694年に武蔵国多摩郡押立村の名主の家に生まれたが、各種振興事業や窮民救済を行った篤農家として知られ、武蔵野の新田開発に抜擢されて新田世話役となり、後には代官に取り立てられた。当時は、8代將軍徳川吉宗の号令で新田開発が進められたが、武士の指導による開発では農民の実情に合わなかったため、入植者の困窮が甚だしく、無惨な結果となった。そこで、農民出身の平右衛門を南北武蔵野新田世話役に登用し、新田開発事業を推進させた。平右衛門と農民の努力の結果、多摩郡・高麗郡・入間郡・新座郡にわたって約500ヘクタールの新田が開墾され、1743年に平右衛門は代官に任ぜられた。この後、平右衛門は美濃国に任地替えとなって河川工事等を行い、更に石見国銀山奉行を歴任し、1767年には幕府の要職・勘定吟味役兼諸国銀山奉行にまで登ったが、同年6月に74歳で没したと言う。

 川崎平右衛門陣屋は、日光街道となっている市道近くの平地にあった。現在は一面の空き地で、解説板が立つほか、空き地の真ん中に「川嵜大明神」という農民が平右衛門の遺徳を偲んで建てた小祠が立っている。土塁らしいものも見られるが、解説板によれば遺構ではなく、開墾による破壊後に新たに作られたものらしい。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.934211/139.387504/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
ラベル:陣屋
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2025年02月21日

中山陣屋(埼玉県川島町)

DSCN0302.JPG←陣屋跡の現況
 中山陣屋は、川越藩主であった秋元但馬守凉朝が1767年に出羽山形藩に転封された際に、川島領5千石を統治するために造営した陣屋である。秋元氏は、戦国時代には深谷上杉氏の宿老であったが、後には小田原北条氏の家臣となった。その事跡は秋元氏館の項に記す。1590年に北条氏が滅びると浪人となったが、後に井伊直政の推挙により徳川家康に仕えた。以後は上野総社藩→甲斐谷村藩→武蔵川越藩と加増転封を重ね、凉朝に至っては度々幕府老中を務める重臣となった。中山陣屋は、1841年に川島領が川越藩主松平大和守の封地となると廃された。

 中山陣屋は、現在の中山小学校の校地にあった。現在は中山営址碑と刻まれた大きな石碑が立っているだけで、遺構は全く残っていない。戦後まもなくの昭和20年代前半の航空写真を見ても、既に学校が建っているので、早くに遺構が失われてしまったのだろう。残念な状況である。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.990317/139.447922/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
ラベル:陣屋
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2025年02月19日

松山陣屋(埼玉県東松山市)

DSCN0278.JPG←陣屋跡の石碑
 松山陣屋は、前橋藩主松平大和守直克によって江戸最末期の1867年2月に完成した陣屋である。これより先、前橋藩の居城であった前橋城は利根川の度重なる氾濫によって破壊が進んだため、1767年松平朝矩の時に川越城に本拠を移し、前橋は川越藩の分領とされた。それから約100年後、領民が藩主の前橋帰還を願い出たため、藩主松平直克は、前橋城の再建と帰城を幕府に願い出て許され、前橋城は1863年に着工され、3年8ヵ月後の1867年に完成し、前橋藩が再立藩した。藩主が前橋に戻ると、武蔵国には比企郡を中心に約6万2千石の領地が飛び地として残ったため、これを管理するために1867年に松山陣屋が造営された。国内有数の規模を持つ陣屋であったが、1871年(明治4年)の廃藩置県により、わずか4年でその役目を終えた。

 松山陣屋は、幕末の動乱期に築かれたため堀と土塁に囲まれた堅牢な構えであったらしいが、現在は東松山市役所や松山第一小学校などの敷地に変貌し、遺構は全く残っていない。しかし昭和後期になって松山陣屋研究会の調査によって陣屋の縄張りや構造が解明された。現在は市役所敷地の東端に陣屋跡の石碑と解説板が立つほか、そこから南西の八幡神社前に松山陣屋鉄砲場跡の石碑が立っている。往時の面影は微塵もないが、研究会の成果によって石碑が立っているだけでも素晴らしい。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.042086/139.400387/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
ラベル:陣屋
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2025年02月17日

城ヶ谷〔比企能員館〕(埼玉県東松山市)

DSCN0256.JPG←城ヶ谷
 城ヶ谷と呼ばれる地には、鎌倉幕府初期の御家人、比企能員の館があったと伝わっている。比企氏は、比企能員の母・比企尼が源頼朝の乳母であった関係から鎌倉幕府開創後に重用され、頼朝の長男頼家に娘(若狭局)を嫁がせ、外戚として権勢を振るった。しかし頼朝の妻、北条政子を擁する北条時政から敵視され、頼家が病気で危篤となった際、時政によって一族は鎌倉の比企ヶ谷の館で悉く謀殺された(比企の乱)。

 城ヶ谷は、今のところ館跡は見つかっていないが、この周辺には比丘尼山・串引沼・宗悟寺・梅が谷・須加谷など、比企氏の伝承が残る地が散在している。また宗悟寺には、江戸時代の旗本森川家の累代墓もある。下記に、現地解説板に基づく伝承を記載する。

 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.077418/139.390444/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

<比丘尼山>
DSCN0222.JPG

 比丘尼山は、比企遠宗の妻比企尼が夫遠宗亡き後、尼となって草庵を結んだところと伝えられている。また源頼家が伊豆修善寺で謀殺された後、若狭局はその遺骨をこの地に頬無って庵を結んだとも伝わっている。

 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.082246/139.381672/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

<串引沼>
DSCN0225.JPG
 『郡村誌』では「奇比企沼」と記されている沼で、夫頼家を殺された若狭局がこの地に逃れ来て、祖母比企尼の勧めで、深い悲しみを断つために頼家形見の鎌倉彫の櫛を投げ込んだ沼という伝説がある。

 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.083772/139.384332/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

<宗悟寺>
DSCN0234.JPG

 若狭局が持参したと伝わる「頼家公のご位牌」と、若狭局が体をヘビに巻き付かれたような苦しみから逃れるために祈願した「蛇苦止観音」が祀られた寺。現在は地元有志により、境内の片隅に「比企一族顕彰碑」が建てられている。

 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.078111/139.387560/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

DSCN0268.JPG←中央の小山の右が梅が谷、左が須加谷
<梅が谷>
 若狭局が隠棲し、余生を送った場所と伝わる。しかし若狭局は比企の乱で一族とともに滅んだとの説が有力である。この谷は、汲んでも尽きない清水が湧く、温かい陽だまりの地で、昔から梅の古木の多い花園であったらしい。

 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.074823/139.385225/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

<須加谷>
 須加谷には、かつて菅谷堂という観音堂があり、若狭局が祈願していた「蛇苦止観音」が祀られていたという。蛇苦止観音は、現在は宗悟寺に移されている。

 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.074088/139.386495/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
ラベル:居館
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2025年02月15日

常安寺館(埼玉県熊谷市)

DSCN0212.JPG←土塁跡
 常安寺館は、歴史不詳の城館である。現在はその名の通り常安寺の境内となっており、本堂の西と北にL字型の土塁が残っているだけである。この場所は、南に向かって降った傾斜地の上端に当たり、すぐ後ろには街道が東西に通っている。要地を押さえていたと思われるが、どの様な城館だったのかは現況からでは想像するのも困難である。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.103333/139.320365/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0
ラベル:居館
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2024年09月26日

横瀬六郎左衛門屋敷(埼玉県横瀬町)

DSCN4268.JPG←寺坂棚田と武甲山
 横瀬六郎左衛門屋敷は、武蔵七党の一、丹党の一流横瀬氏の居館である。丹党は丹三冠者経房を祖とし、中村氏を貫主として、児玉・秩父・比企・入間の諸郡に一族が広く繁栄した。経房の次男中村時親の次男時綱が秩父郡横瀬村に居住し、横瀬馬允と称して横瀬氏の祖となったと伝えられる。小名寺坂にはその一族、横瀬六郎左衛門の屋敷があったと伝えられ、寺坂の続きにある字今市には往時、町家が並び市が立ったと言う。

 横瀬六郎左衛門屋敷は、寺坂棚田付近にあったらしい。現地の復元想像図によれば、棚田の上方にあったらしいので、棚田上にある住宅地付近にあったものだろうか?いずれにしても遺構は残っていないが、棚田の解説板などに横瀬六郎左衛門屋敷のことが記載されているなど、自然豊かな景観の中に伝承のみを残している。
 尚、上から見た棚田の遥か先には武甲山がそびえ、その手前に古御嶽城横瀬根小屋城も見える。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.990291/139.108243/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


関東の名城を歩く 南関東編: 埼玉・千葉・東京・神奈川

関東の名城を歩く 南関東編: 埼玉・千葉・東京・神奈川

  • 出版社/メーカー: 吉川弘文館
  • 発売日: 2011/07/26
  • メディア: 単行本
ラベル:居館 武蔵七党
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2024年09月25日

石間城(埼玉県秩父市)

DSCN4194.JPG←2つ目の堀切
 石間城は、平将門伝説が残る城である。城峯神社に残る伝説によれば、瞬く間に関八州を平定した将門であったが、下総で追討軍との戦いに敗れ、一族とともに落ち延びて関八州を一望に収める城峯山に城を築き、幡武山石間城と名付けて立て籠もった。追討軍に加わっていた下野の豪族藤原秀郷は、将門を追って下吉田村に入り、鶴ヶ窪城(後の秩父氏館の地)を築いて本陣を置き、石間城を激しく攻め立てた。しかし要害である石間城は頑として落ちず、弱り果てた秀郷は椋神社に賊徒平定の祈願をした。するとその夜、鼠の大群が城峯山に押し寄せ、一夜の内に鎧兜の紐をバラバラに喰いちぎってしまった。この時を逃さず、秀郷は一挙に攻め立てて将門を破った。敗走し岩窟に隠れて再挙を図った将門であったが、影武者7人と共に遂に捕えられた。そして秀郷は将門の愛妾桔梗の前を厳しく問い詰め、とうとう桔梗の前は「食事の時鬢の毛が著しく動く人が将門です」と白状し、将門は斬首されたと言う。また別の伝説では、石間城は将門ではなく、その弟の平将平の城であったとも伝えられる。
 しかし実際には、石間城は鐘掛城と同様に小田原北条氏が秩父防衛のために築いた城と考えた方が自然であろう。

 石間城は、城峰神社背後の山稜を西に進んだ先にある。背後の山稜を西に向かうと道が二手に分かれており、城には右の尾根筋のルートを登っていく。ちなみに左手の道は将門の隠れ岩に至る。尾根筋を登っていくと岩場の細尾根があり、そこに堀切が穿たれている。その先に進んでいくと天狗岩と呼ばれる峻険な大岩があり、更に進んだ先にもう1本の堀切が確認できる。この堀切の先に平場があり、内部には物見台のような土壇も見られ、これが主郭と推測される。主郭の西には、細い岩尾根を挟んで二ノ郭と思われる平場がある。ここには城峯神社奥宮である猿田彦大神の石祠が祀られている。二ノ郭の西には、多少不明瞭ではあるが数段の段曲輪が築かれている。以上が石間城の遺構で、居住性のない小城砦で、物見兼烽火台であったというのが実態だと思われる。
 尚、将門の隠れ岩は、切り立った岩場を鎖を頼りに20m程登る必要があり、登った先には人一人がようやく入れるかどうかという窪みがある。さすがにここの登り降りは緊張した。
二ノ郭→DSCN4208.JPG
DSCN4228.JPG←将門の隠れ岩(中央の窪み)
 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.097461/139.002392/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


平将門と東国武士団 (動乱の東国史 1)

平将門と東国武士団 (動乱の東国史 1)

  • 作者: 鈴木 哲雄
  • 出版社/メーカー: 吉川弘文館
  • 発売日: 2012/08/01
  • メディア: 単行本
ラベル:中世山城
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2024年09月23日

鐘掛城(埼玉県皆野町)

DSCN4105.JPG←峰上の平場と表示板
 鐘掛城は、小田原北条氏が秩父防衛のために築いた物見と考えられている。西上州を攻略した甲斐武田氏は、1568年12月から今川氏が領する駿河への侵攻を開始した。これにより甲相駿三国同盟は崩壊し、武田氏は今川氏を支援する北条氏と交戦状態となり、武田勢は1569年から数回にわたって上武国境を越えて秩父地方へ侵攻した。これに対して秩父地方を管轄していた鉢形城主北条氏邦は、いくつもの城郭群を築いて対抗したと推測されている。鐘掛城もその一つであったと思われる。尚、城峯山周辺には平将門伝説が多く残っており、鐘掛城にも将門による築城伝説がある。

 鐘掛城は、城峯山の東方にある標高1003mの峰にあったとされている。城峯山との間に石間峠があり、そこまで車で登れるので、あとは尾根にあるハイキングコースに沿って登って行けばよい。案内表示も要所にあるので迷うことなく行ける。ただ石間峠まで神川町方面から行こうとしたら、あちこち通行止めになっていて、結局宝登山方面まで大迂回することになり、えらく苦労した。城は、峰の上に平場がある以外は明確な遺構は見られない。周辺の尾根筋も少し辿ってみたが、城砦らしい形跡はなかった。ただの物見として、数名の番兵を置いただけだったのだろう。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.098033/139.017863/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


戦国北条五代 (星海社新書 149)

戦国北条五代 (星海社新書 149)

  • 作者: 黒田 基樹
  • 出版社/メーカー: 星海社
  • 発売日: 2019/04/27
  • メディア: 新書
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2024年02月13日

太田道灌陣屋(埼玉県川島町)

DSCN2493.JPG←陣屋跡の石碑、奥に水路
 太田道灌は、扇谷上杉氏の家宰で、戦国初期の関東争乱の中で獅子奮迅の活躍をした名将である。殊に山内上杉氏の重臣長尾景春が大規模な反乱「長尾景春の乱」を起こした時には、関東各地を転戦してほぼ独力で乱を鎮圧した。また築城家としても有名で、江戸城河越城岩付城など名だたる関東の名城の原型を築いたと言われる(道灌の父太田道真が築城したとの説もある)。

 川島町にある養竹院は、そんな活躍をした道灌の陣屋跡に建てられたとの伝承がある。養竹院は、道灌の甥叔悦禅師が、同じく道灌の甥で養子となった資家(岩付城主)の菩提を弔う為に開山した寺である。寺には明確な遺構はないが、周辺には水路が流れ、堀跡であった可能性がある。また境内には「太田道灌の陣屋跡」と書かれた石碑がある。太田資家夫妻の墓もある他、岩付太田氏にまつわる遺品が多く残されており、太田氏との深い繋がりを今に伝えている。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.979196/139.500918/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


太田道灌と長尾景春 (中世武士選書43)

太田道灌と長尾景春 (中世武士選書43)

  • 作者: 黒田基樹
  • 出版社/メーカー: 戎光祥出版
  • 発売日: 2019/12/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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2024年02月12日

玉川陣屋(埼玉県ときがわ町)

DSCN2366.JPG←陣屋跡の現況
 玉川陣屋は、『日本城郭大系』では代官屋敷と記載され、関東に入部した徳川氏が築いた陣屋である。元々この地には、天文年間(1532~55年)に松山城主上田朝直が築いた出城があり、森兵庫頭・家老小澤肥前・澤田五右衛門・樅澤三右衛門ら多数の将士を置いて、近郷を管轄させたと言う。1590年の小田原の役後に徳川家康が関東に移封となると、玉川領は徳川氏の直轄地となり、代官頭大久保長安に支配を命じた。長安は、家臣平岡帯刀を玉川へ派遣し、建物が残っていた出城跡をそのまま陣屋として使い、近郷50ヶ村を支配させた。『新編武蔵国風土記稿』では、文禄年間(1592~96年)頃に陣屋が設営され、その頃は中川某が代官として支配していたとする。6代将軍徳川家宣の治世の1710年に、玉川陣屋は廃された。

 玉川陣屋は、現在は畑や宅地に変貌し、明確な遺構は残っていない。しかし町の史跡に指定され、立派な石碑が建てられている。明確な遺構が残っていればと惜しまれる。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.012233/139.294238/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


小藩大名の家臣団と陣屋町 3 南関東・中部(新装改訂版)

小藩大名の家臣団と陣屋町 3 南関東・中部(新装改訂版)

  • 作者: 米田藤博
  • 出版社/メーカー: クレス出版
  • 発売日: 2021/03/25
  • メディア: 単行本
ラベル:陣屋
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2024年02月09日

奈良梨館(埼玉県小川町)

DSCN2308.JPG←館跡の民家
 奈良梨館は、小田原北条氏の家臣で松山衆であった鈴木氏の居館である。鈴木氏は、鈴木民部重直が伊豆から松山衆の寄騎として奈良梨に移住したとされる。伊豆の鈴木氏といえば、伊豆水軍の将の一人であった江梨鈴木氏が知られているので、重直もその一族であった可能性がある。北条氏滅亡後は、奈良梨村の名主となったと言う。

 奈良梨館は、現在ご子孫とされる鈴木家の宅地となっている。宅地の北側に土塁が残るようだが、訪城したのが夏場だったので、わずかに道路際から見ることしかできなかった。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.083537/139.287586/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


北条氏康の家臣団 (歴史新書y)

北条氏康の家臣団 (歴史新書y)

  • 作者: 黒田 基樹
  • 出版社/メーカー: 洋泉社
  • 発売日: 2018/12/04
  • メディア: 新書
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2024年02月08日

奈良梨陣屋(埼玉県小川町)

DSCN2301.JPG←東側の土塁と堀跡
 奈良梨陣屋は、信濃の名族諏訪頼忠の陣屋である。1582年、甲斐武田氏・織田信長の相次ぐ滅亡後に生起した北条・徳川・上杉諸氏の抗争「天正壬午の乱」の中で、頼忠は諏訪氏旧臣達に擁立されて諏訪氏の家督を継ぎ、旧領を奪還して北条方に付いた。天正壬午の乱終結後は徳川家康と和睦し、徳川氏に服属した。1590年の小田原の役の後、徳川家康が関東に移封となると、諏訪頼忠も武蔵国奈良梨・羽生・蛭川等1万2千石を拝領し、奈良梨に陣屋を構えた。諏訪氏の陣屋期間は、1592年に諏訪頼水が上野国総社に移封となるまでの3年間であった。

 奈良梨陣屋は、現在の八和田神社(旧諏訪神社)境内を含む一帯にあったらしい。社殿の北と東には土塁と堀跡が残っている。町指定史跡でもあり、土塁北東に解説板が立っているが、それによると「戦国時代から江戸時代にかけて」の頃に「鎌倉街道上道の宿駅として栄えた奈良梨において、(中略)なんらかの施設がおかれていた可能性がある」と書かれており、諏訪氏について触れられていないことから、諏訪氏の陣屋とは断定できなかったらしい。しかし奈良梨は、戦国時代には小田原北条氏の伝馬が置かれていた戦略的要地であったと言うので、ここに諏訪氏が陣屋を置いた可能性は十分考えられるだろう。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.082306/139.288445/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


武田遺領をめぐる動乱と秀吉の野望―天正壬午の乱から小田原合戦まで

武田遺領をめぐる動乱と秀吉の野望―天正壬午の乱から小田原合戦まで

  • 作者: 平山 優
  • 出版社/メーカー: 戎光祥出版
  • 発売日: 2011/05/01
  • メディア: 単行本
ラベル:陣屋
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2024年02月06日

広木吉原城(埼玉県美里町)

DSCN2277.JPG←城跡付近にある大興寺
 広木吉原城は、南北朝初期に一色大興寺入道源範行の居城であったと伝えられるが、実在したかどうかが明確ではない。一色氏といえば足利氏の一族で、室町幕府の四職家に名を連ねる名族である。多くの足利一門・重臣と同様に一色氏も、京都や西国で活躍した一族と、鎌倉府ができた際に鎌倉公方に従った東国の一族とに分かれたが、関東の一色氏としては幸手一色氏が知られる。しかし幸手一色氏は「直」字が名乗りの通字であり、「範行」が実在するとすれば九州探題を務めた一色範氏の系統とも考えられる。一方、入道名にも出てくる大興寺の所伝では、南北朝末期の1387年に小倉左中将元英と言う人が廃絶していた寺を再興したとあり、一色氏の名は出てこない。従って、一色範行の伝承には様々な疑問があるのが実態である。その後、戦国後期には、1579年に「広木大仏の合戦」が武田・北条間で行われたと『甲陽軍鑑』などに記載されているが、城の存在は明確ではないらしい。

 広木吉原城は、以上のように実在したかもわからない謎の城であるが、大興寺の北西付近にあったとされているらしい。そこには丘陵地が広がっているものの、明確な遺構は無いようである。ただ大興寺自体が寺院城郭のような立派な構えであり、目を見張らされる。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:【推定地】
https://maps.gsi.go.jp/#16/36.168446/139.158540/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


関東公方足利氏四代―基氏・氏満・満兼・持氏

関東公方足利氏四代―基氏・氏満・満兼・持氏

  • 作者: 田辺 久子
  • 出版社/メーカー: 吉川弘文館
  • 発売日: 2002/08/01
  • メディア: 単行本
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2024年02月05日

岡部藩陣屋(埼玉県深谷市)

DSCN2265.JPG←陣屋跡の現況
 岡部藩陣屋は、安倍(あんべ)摂津守陣屋とも言い、徳川家康の家臣安倍弥一郎信勝が築いた陣屋である。信勝の父安倍大蔵元真の時、今川氏滅亡後に徳川氏に仕えて軍功を上げた。1590年に徳川氏が関東に移封となると、元真の子信勝は武蔵国榛沢郡・下野国梁田郡に5250石を与えられて、岡部に陣屋を構えた。信勝の嫡男信盛は、上杉景勝討伐や大坂の陣で功を挙げ、大番役などを務めた。1636年に三河国内4千石、1649年に摂津国内1万石を加増され、信盛は大名となった。その後、所領高20250石となった岡部藩は、岡部を本拠とし続けた。幕末の1868年、最期の藩主信発は、三河国半原へ本拠移転を願い出て半原藩となり、岡部藩は廃藩となった。

 岡部藩陣屋は、岡部東郵便局を含めた西側一帯にあったらしい。現在は敷地の大部分が一面の畑に変貌し、昭和初期まであったという深い堀も湮滅している。陣屋跡の片隅の道路脇に陣屋跡の解説板が立っているが、それより立派なのが隣に立っている「高島秋帆幽囚の地」の石碑である。高島秋帆は幕末の西洋式兵術・砲術家で、一時期讒言によりこの地に囚われていた。いずれにしても、遺構は全く無く、残念な状態である。尚、近くの源勝院に岡部藩主安倍家歴代の墓がある。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.201889/139.251430/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


江戸三百藩大全 全藩藩主変遷表付 (廣済堂ベストムック287号)

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  • 出版社/メーカー: 廣済堂出版
  • 発売日: 2015/03/02
  • メディア: ムック
ラベル:陣屋
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2023年08月03日

野本氏館(埼玉県東松山市)

DSCN2382.JPG←境内北東の櫓台
 野本氏館は、鎌倉幕府の御家人野本氏の居館である。野本氏は、平安時代の公卿藤原基経の家の警護をしていた片田元親の子基員が、武蔵国野本に移り住んで野本左衛門を称したのに始まる。基員は源頼朝の信頼が厚かった。また基員の養子時基は、押垂に居住して押垂氏を名乗り、1213年の和田合戦や1221年の承久の乱における宇治川の戦いなどで軍功を上げたと言う。尚、一説には、後に鎮守府将軍に任ぜられた平安時代の武将藤原利仁が、武蔵守であった時の居館であったとも言われ、利仁の後裔を称した基員は、利仁の故地に住んだとも言う。

 野本氏館は、現在の無量寿寺の地にあった。寺の本堂の北側には土塁と空堀が残っている。北東角は高く盛り上がっており、櫓台であったと考えられている。櫓台の外側にも土塁っぽい土盛りがあり、二重土塁であった可能性がある。この他、本堂西側には墓地が広がっているが、墓地の一部が南北に一筋盛り上がっている部分があり、土塁の名残りを残している。尚、館跡の南には、藤原利仁に由来する名を持つ将軍塚古墳があり、円丘には利仁神社が建っている。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.018741/139.412191/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


関東の名城を歩く 南関東編: 埼玉・千葉・東京・神奈川

関東の名城を歩く 南関東編: 埼玉・千葉・東京・神奈川

  • 出版社/メーカー: 吉川弘文館
  • 発売日: 2011/07/26
  • メディア: 単行本
ラベル:居館
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2023年08月01日

岸田氏屋敷(埼玉県鶴ヶ島市)

DSCN2339.JPG←屋敷跡付近の現況
 岸田氏屋敷は、戦国時代に扇谷上杉氏に仕えた岸田正春の居館である。河越夜戦で主君扇谷上杉朝定が敗死すると、正春はその遺児を引き取り岸田正信と名乗らせて養育したと言う。

 岸田氏屋敷は、正音寺の西方にあったらしい。しかし資料不足で、正確な場所がよく分からなかった。遺構もあるのかないのか不明である。尚、前述の正音寺は、1555年に岸田正春が創建したと伝えられ、正春の墓が残っている。
岸田正春の墓→DSCN2342.JPG

 お城評価(満点=五つ星):ー(場所が分からなかったので評価なし)
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.940099/139.413264/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
    (推定地)


扇谷上杉氏 (シリーズ・中世関東武士の研究)

扇谷上杉氏 (シリーズ・中世関東武士の研究)

  • 作者: 基樹, 黒田
  • 出版社/メーカー: 戎光祥出版
  • 発売日: 2012/03/08
  • メディア: 単行本
ラベル:居館
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2023年07月31日

宮前館(埼玉県川越市)

DSCN2287.JPG←北辺の空堀
 宮前館は、下広谷方形囲郭群の一つで、『日本城郭大系』では「某館(2)」、書籍によっては「字宮前の遺構」などとも呼ばれる。歴史不詳の城館であるが、近年の研究では下広谷の囲郭群は、山内・扇谷両上杉氏が争った長享の乱の中で、1497年、扇谷上杉朝良の本拠河越城を攻撃するために山内上杉顕定が本陣を置いた上戸陣(旧河越氏館)に関連して、陣所または兵站拠点として構築されたものと考えられている。その後、戦国期に小田原北条氏の前進拠点となった河越城を、関東管領上杉憲政・扇谷上杉朝定・古河公方足利晴氏の連合軍が長期攻囲した河越城の戦いでも、これらの囲郭群は再利用されたと思われる。

 宮前館は、下広谷方形囲郭群の中心的城郭・大堀山城の東に隣接するように築かれている。下広谷方形囲郭群の中では大堀山城に次ぐ規模の空堀・土塁が残っている。北辺から西辺にかけてL字型をした土塁・空堀がある。その内側に当たる南東の山林内にも、かなり浅いが空堀が見られる。この堀は、鉤型が東西に2つ連結したような形をしている。『日本城郭大系』の縄張図とは遺構配置が合わないが、どうも二重の環郭式平城であったような形態である。しかし東側は開墾されてしまっていて、そこから先の堀は消失してしまっているので、遺構の全貌はわからない。また南は民家裏の屋敷林なので、改変されている可能性がある。全体の縄張りがわかるように遺構が残っていればと惜しまれる。
西辺の土塁→DSCN2308.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.957401/139.436674/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


関東管領上杉氏 (シリーズ・中世関東武士の研究)

関東管領上杉氏 (シリーズ・中世関東武士の研究)

  • 作者: 基樹, 黒田
  • 出版社/メーカー: 戎光祥出版
  • 発売日: 2013/06/01
  • メディア: 単行本
ラベル:陣城
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2023年07月29日

在家館(埼玉県川越市)

DSCN2284.JPG←諏訪神社北側の堀状地形
 在家館は、下広谷方形囲郭群の一つと推測されている。字在家には、堀や土塁らしき地形があることから、城館があったとの説がある。もし実際に下広谷方形囲郭群の一つであれば、近年の研究ではこれらの下広谷の囲郭群は、山内・扇谷両上杉氏が争った長享の乱の中で、1497年、扇谷上杉朝良の本拠河越城を攻撃するために山内上杉顕定が本陣を置いた上戸陣(旧河越氏館)に関連して、陣所または兵站拠点として構築されたものと考えられている。その後、戦国期に小田原北条氏の前進拠点となった河越城を、関東管領上杉憲政・扇谷上杉朝定・古河公方足利晴氏の連合軍が長期攻囲した河越城の戦いでも、これらの囲郭群は再利用されたと思われる。

 在家館は、諏訪神社の北の山林にあるとされる。山林内にはわずかな起伏があり、土塁や堀跡とも考えられるが、現状からでは城館遺構とは断定できない。北の小道沿いにも土塁があり、一段低くなった小道は空堀跡とも考えられるが、あくまで推測の域を出ない。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.955768/139.430451/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


城郭研究家の全国ぶらり城めぐり (わたしの旅ブックス)

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  • 作者: 中井 均
  • 出版社/メーカー: 産業編集センター
  • 発売日: 2022/12/14
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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2023年07月27日

往還上館(埼玉県川越市)

DSCN2270.JPG←堀状の溝
 往還上館は、下広谷方形囲郭群の一つである。歴史不詳の城館であるが、近年の研究ではこれらの下広谷の囲郭群は、山内・扇谷両上杉氏が争った長享の乱の中で、1497年、扇谷上杉朝良の本拠河越城を攻撃するために山内上杉顕定が本陣を置いた上戸陣(旧河越氏館)に関連して、陣所または兵站拠点として構築されたものと考えられている。その後、戦国期に小田原北条氏の前進拠点となった河越城を、関東管領上杉憲政・扇谷上杉朝定・古河公方足利晴氏の連合軍が長期攻囲した河越城の戦いでも、これらの囲郭群は再利用されたと思われる。

 往還上館は、下広谷方形囲郭群の中心的城郭・大堀山城の南方に位置している。民家裏に当たる北西側の山林内に、北側の道路から1本の堀状溝があるのが確認できる。道路沿いにフェンスが設置されていて入れないので、どのような遺構配置になっているのかはわからない。遺構が残っているとしても、遠目に見た限りでは断片的なもののようである。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.953944/139.433198/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


埼玉県の歴史 (県史)

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  • 出版社/メーカー: 山川出版社
  • 発売日: 2010/11/01
  • メディア: 単行本
ラベル:陣城
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2023年07月25日

広谷南城(埼玉県川越市)

DSCN2261.JPG←空堀と土塁
 広谷南城は、下広谷方形囲郭群の一つである。歴史不詳の城館であるが、近年の研究ではこれらの下広谷の囲郭群は、山内・扇谷両上杉氏が争った長享の乱の中で、1497年、扇谷上杉朝良の本拠河越城を攻撃するために山内上杉顕定が本陣を置いた上戸陣(旧河越氏館)に関連して、陣所または兵站拠点として構築されたものと考えられている。その後、戦国期に小田原北条氏の前進拠点となった河越城を、関東管領上杉憲政・扇谷上杉朝定・古河公方足利晴氏の連合軍が長期攻囲した河越城の戦いでも、これらの囲郭群は再利用されたと思われる。

 広谷南城は、下広谷方形囲郭群の中で最も南に位置している。民家の裏にある竹林で立入禁止になっているが、北西にある圏央道の側道から遠目に内部を見ることができる。空堀や土塁が見えるが、遠巻きに眺めるだけなので、どのような配置になっているのかはよくわからない。二重空堀のようにも見えるがはっきりしない。内部探索はできないが、遺構が残っているだけ良しとしたい。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.950678/139.426267/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


首都圏発 戦国の城の歩きかた

首都圏発 戦国の城の歩きかた

  • 作者: 西股 総生
  • 出版社/メーカー: ベストセラーズ
  • 発売日: 2017/04/21
  • メディア: 単行本
ラベル:陣城
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2023年07月24日

竹ノ内館(埼玉県川越市)

DSCN2249.JPG←館跡付近の現況
 竹ノ内館は、下広谷方形囲郭群の一つである。歴史不詳の城館であるが、近年の研究ではこれらの下広谷の囲郭群は、山内・扇谷両上杉氏が争った長享の乱の中で、1497年、扇谷上杉朝良の本拠河越城を攻撃するために山内上杉顕定が本陣を置いた上戸陣(旧河越氏館)に関連して、陣所または兵站拠点として構築されたものと考えられている。その後、戦国期に小田原北条氏の前進拠点となった河越城を、関東管領上杉憲政・扇谷上杉朝定・古河公方足利晴氏の連合軍が長期攻囲した河越城の戦いでも、これらの囲郭群は再利用されたと思われる。

 竹ノ内館は、広谷北城の南西にあったらしい。しかし太平洋戦争中に飛行場として整備されてしまい、遺構は湮滅している。現在この飛行場跡地は富士見工業団地に変貌し、すべて工場敷地となっている。従って、遺構はおろか、その位置すら明確にできない。往時は三重の土塁と堀があったということなので、下広谷方形囲郭群の中心的城郭である大堀山館と似た構造であったのかもしれない。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.957209/139.428735/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


「城取り」の軍事学

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  • 作者: 西股総生
  • 出版社/メーカー: 学研プラス
  • 発売日: 2013/08/29
  • メディア: Kindle版
ラベル:陣城
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2023年07月22日

広谷北城(埼玉県川越市)

DSCN2232.JPG←空堀と土塁
 広谷北城は、下広谷方形囲郭群の一つで、『日本城郭大系』では「某館(1)」、書籍によっては「字戸宮前の遺構」などとも呼ばれる。歴史不詳の城館であるが、近年の研究では下広谷の囲郭群は、山内・扇谷両上杉氏が争った長享の乱の中で、1497年、扇谷上杉朝良の本拠河越城を攻撃するために山内上杉顕定が本陣を置いた上戸陣(旧河越氏館)に関連して、陣所または兵站拠点として構築されたものと考えられている。その後、戦国期に小田原北条氏の前進拠点となった河越城を、関東管領上杉憲政・扇谷上杉朝定・古河公方足利晴氏の連合軍が長期攻囲した河越城の戦いでも、これらの囲郭群は再利用されたと思われる。

 広谷北城は、圏央道と県道256号線の立体交差のすぐ西側の林の中にある。遺構の残存状態はあまり良くなく、堀跡・土塁が残るものの一部を除いてわずかな遺構であり、縄張りがあまりはっきりしない。また遺構の西部はスクラップ工場となっていて破壊を受けている。そのため、『日本城郭大系』の縄張図と現地の遺構がどう対応するのか、よくわからなかった。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.957209/139.428735/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


「東国の城」の進化と歴史

「東国の城」の進化と歴史

  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2016/04/26
  • メディア: 単行本
ラベル:陣城
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2023年07月21日

勝呂館(埼玉県坂戸市)

DSCN2195.JPG←土塁と堀跡らしき地形
 勝呂館は、鎌倉時代に勝呂太郎恒高の居館であったと推測されている。勝呂氏については、その後裔とされる勝呂豊前守館の項に記載する。現在の大智寺境内が館跡とされ、境内にはわずかに土塁と堀跡らしい地形が見られるが、あまり中世居館の遺構という感じではなく、どちらかと言うと境内整備の中で作られたもののように感じられた。
 尚、大智寺の墓地には、1650年に長崎奉行、1665年に大目付など幕府の重職を歴任し、大智寺の中興開基となった黒川丹波守正直とその一族の墓が残っている。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.967231/139.409766/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


坂東武士団と鎌倉 (中世武士選書)

坂東武士団と鎌倉 (中世武士選書)

  • 作者: 実, 野口
  • 出版社/メーカー: 戎光祥出版
  • 発売日: 2013/04/30
  • メディア: 単行本
ラベル:居館
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2023年07月19日

塚越林氏屋敷(埼玉県坂戸市)

DSCN2182.JPG←北側の空堀
 塚越林氏屋敷は、『坂戸市史』では「塚越の構堀林氏屋敷」と呼称され、戦国時代に小田原北条氏麾下の松山衆に属した林氏の屋敷である。現在も林家の屋敷地であり、西辺は堀が埋められてしまっているが、それ以外の三方に空堀が残っている。この内、最も往時の姿を留めていると思われるのが北側の堀で、しっかりした幅と深さがあり、見応えがある。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.967821/139.423671/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


戦国関東覇権史 北条氏康の家臣団 (角川ソフィア文庫)

戦国関東覇権史 北条氏康の家臣団 (角川ソフィア文庫)

  • 作者: 黒田 基樹
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2021/07/16
  • メディア: 文庫
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2023年07月18日

塚越館(埼玉県坂戸市)

DSCN2163.JPG←館跡南西に残る土塁
 塚越館は、歴史不詳の城館である。『坂戸市史』では勝呂一族の館ではないかと推測しているらしい。一方、館跡北西にある墓地には、水村伊勢守義信と刻まれており、水村氏の居館であった可能性もある。

 塚越館は、坂戸市立住吉中学校の西側にある。現在は、周囲に民家が点在する大きな畑の区画となっているが、西側に土塁と空堀が残っている。この土塁は南西角ではL字型になっていて、方形館の形態を思わせる。事実、畑地の南、民家との境界には空堀跡らしい窪地地形も残っている。かなり明確な遺構であり、中世の館跡であるとすれば貴重である。一度、発掘調査などで本当に中世の館跡なのか、確認してほしいものである。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.966276/139.426932/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


関東の名城を歩く 南関東編: 埼玉・千葉・東京・神奈川

関東の名城を歩く 南関東編: 埼玉・千葉・東京・神奈川

  • 出版社/メーカー: 吉川弘文館
  • 発売日: 2011/07/26
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ラベル:居館
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2023年07月16日

明泉館(埼玉県坂戸市)

DSCN2126.JPG←堀状地形
 明泉館は、歴史不詳の城館である。寳珠寺の東に並ぶ民家群の北側に堀状地形があり、それが遺構とされる。寳珠寺裏から東に伸びる小道を辿っていくと、道が掘状になり、一直線に東に続いている。南の民家側に分岐する堀地形もあり、また北の畑の周りにも堀地形が見られ、似たような堀状地形多数ある。土塁っぽい地形もあるが、具体的にどこを館跡としているのか、現地を踏査した限りでは場所がよくわからなかった。また個人的には、これが城館遺構という確証も持てなかった。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.970235/139.431396/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


埼玉の城―127城の歴史と縄張

埼玉の城―127城の歴史と縄張

  • 作者: 太久夫, 梅沢
  • 出版社/メーカー: まつやま書房
  • 発売日: 2018/03/01
  • メディア: 単行本
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2023年07月15日

塚越城(埼玉県坂戸市)

DSCN2105.JPG←空堀と土塁
 塚越城は、『日本城郭大系』では西光寺城と記載され、戦国時代にこの地を領していた小島氏の居城と推測される。西に隣接する西光寺の寺伝(解説板)によれば、越後上杉氏に仕えた小島豊後が屋敷内に庵を建て、西光庵と称したのが西光寺の起源とされ、天文年間(1532~55年)に豊後の子小島越後によって庵が再興され、西光寺と呼ぶようになったと言う。ただ、この寺伝は少々おかしい。小島越後が庵を再興したのが天文年間(1532~55年)とすると、父の豊後が活躍したのはそれ以前ということになり、まだ越後の上杉謙信が関東に出馬する前のことなので、関東管領山内上杉氏に仕えていたというのが正しいか、或いは天文年間(1532~55年)という年代が間違っているか、のいずれかであろう。いずれにしても小島氏は、戦国後期には武蔵全域を制圧した小田原北条氏の家臣となった。北条氏が滅亡すると、小島氏はこの地で帰農して境内を寄付し、西光寺の開基となった。
 尚、『日本城郭大系』では塚越城を平安時代末期の創築とし、また西光寺の墓地には南北朝期に勝呂地区一帯を本拠地とした在地領主・勝(すぐろ)氏の一族、勝次郎左衛門入道頼阿の宝篋印塔(1366年建立)が移されているので、戦国時代以前には勝呂氏の城館であった可能性も考えられる。

 塚越城は、前述の通り西光寺境内の東に築かれている。車道脇から入った山林の中に、南北に伸びる土塁・空堀と、更にそこから西に分岐して、東西に長いコの字形をした空堀・土塁が確認できる。空堀は埋もれているのかかなり浅くなってしまっている部分もあるが、何らかの城館があったことは間違いない。わりと良好に残っている遺構なので、文化財に指定して保存してほしいものである。
勝氏の宝篋印塔→DSCN2081.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.973274/139.429078/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


埼玉県の歴史 (県史)

埼玉県の歴史 (県史)

  • 出版社/メーカー: 山川出版社
  • 発売日: 2010/11/01
  • メディア: 単行本
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2023年07月13日

林氏屋敷(埼玉県坂戸市)

DSCN2061.JPG←北西辺の堀跡
 林氏屋敷は、文亀年間(1501~04年)に信州諏訪から当地に移り住んだと伝えられる林氏の屋敷である。詳しい系譜や戦国期の事績は不明であるが、江戸時代には赤尾村下分の名主を務めているので、戦国期にもこの地の名家として重きをなしていたと思われる。

 林氏屋敷は、県道74号線沿いの、天神橋のたもとに位置しており、現在もご子孫の居宅となっている。屋敷正面には立派な長屋門があり、その脇に土塁が残っている。また宅地の四周にはほぼ全周にわたって堀跡が残っている。内部探索はできないので外周から見て回ると、南西辺にも土塁が残っているようである。戦国時代から残る屋敷跡として貴重である。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.987287/139.434443/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


わくわく埼玉県歴史ロマンの旅

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  • 作者: 埼玉県立歴史と民俗の博物館
  • 出版社/メーカー: 学陽書房
  • 発売日: 2014/06/06
  • メディア: 文庫
ラベル:居館
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2023年07月12日

大串次郎館(埼玉県吉見町)

DSCN2019.JPG←川沿いの竹薮の中の土塁状地形
 大串次郎重親は、武蔵七党横山党の一流である。大串氏は、由木保経の次男・次郎隆(孝)保が大串郷に入部して大串氏を称したのに始まる一族で、隆保の子が重親である。重親は、烏帽子親が坂東武者の鏡とされる畠山重忠であり、「重」の字は重忠からの偏諱である。治承・寿永の乱(いわゆる源平合戦)では源氏方に属して活躍した。『源平盛衰記』等の軍記物では、宇治川の戦いの際、急流を徒歩で渡ろうとして足を取られて流されそうになった重親が近くで渡渉していた重忠にしがみつくと、怪力の重忠は重親を掴んで向こう岸まで投げ飛ばしたと伝えられる。重親は、敵前で「徒立ちの先陣なり」と大声で名乗り、敵味方から笑いが起こったという(既に佐々木高綱が騎馬で先陣の功を上げていた)。

 大串次郎館は、市野川北岸の自然堤防上にあったらしい。明確な位置は不明であるが、ネットの記事を参照すると2ヶ所の候補地が考えられる。一つは現在の堤防の南側にある竹薮で、遺構はあまりはっきりしないが、土塁らしきものが見られる。もう一つは、そこから北東にやや離れた集落内で、民家の周囲に堀や土塁らしい地形が見られる。どちらであったのかは明確ではないが、自然堤防上にあったことから推測すると、前者の方が有力であるように思う。ちなみに、埼玉県埋蔵文化財情報公開ページの遺跡地図では、この2つとも異なる、金蔵院付近を館跡としている。それにしても、館跡近くにある県道76号線の橋の名が「徒歩橋」と言う名で、珍しい名前だと思っていたが、大串次郎の徒立ちの先陣に由来する名だとその事績を調べていて気が付いた。
 尚、金蔵院の西方約60mの畑の中にある宝篋印塔は、大串次郎重親のものと伝承されている。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.020043/139.472616/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


源平の争乱 (戦争の日本史6)

源平の争乱 (戦争の日本史6)

  • 作者: 上杉 和彦
  • 出版社/メーカー: 吉川弘文館
  • 発売日: 2007/02/16
  • メディア: 単行本
ラベル:武蔵七党 居館
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