2025年05月18日

医王寺山武田勝頼本陣(愛知県新城市)

DSCN4322.JPG←堀切と主郭切岸
 医王寺山武田勝頼本陣は、1575年の長篠城包囲戦の際に、武田勝頼が全軍を指揮するために本陣を置いた陣城である。1575年4月、1万5千の大軍を率いて甲斐を発した勝頼は、全軍を4つに分けて三河に進出し、4月下旬に長篠城周辺に包囲網を敷き、医王寺山に本陣を置いた。5月18日、後詰めとして進出してきた織田・徳川連合軍は、設楽原に野戦陣地を作り始めた。医王寺山本陣で諸将と軍議を開いた勝頼は設楽原での決戦を決断し、5月19日に設楽原へ進軍を開始した。勝頼は本陣を清井田へ進め、更に才ノ神へ進めて決戦に挑んでいった。即ち4月下旬から5月19日まで、勝頼はこの医王寺山に本陣を置いていた。

 医王寺山武田勝頼本陣は、医王寺背後の比高約50mの山上に築かれている。散策路が整備されていて、迷うことなく登ることができる。陣城は、中央に主郭を置き、西に堀切を挟んでL字型の土塁を伴った西郭を、東には長い土橋で連絡した東郭を置いている。東郭の南端には虎口も築かれている。更にこれらの曲輪の周囲に腰曲輪を築いている。主郭には現在物見櫓が建てられていて、そこからは天神山陣地と大通寺山陣地の間に長篠城を遠望できる。まさに武田の全軍を俯瞰し指揮できる要地であることがわかる。歴史の証言者として重要な遺構である。
東郭に繋がる土橋→DSCN4334.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/34.931457/137.557922/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

長篠合戦 鉄砲戦の虚像と実像 (中公新書) - 金子拓
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posted by アテンザ23Z at 02:00| Comment(0) | 古城めぐり(愛知) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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