川崎平右衛門定孝は、この地域の新田開発に功績を挙げた人物で、その際に拠点として陣屋を設けた。平右衛門は、元々1694年に武蔵国多摩郡押立村の名主の家に生まれたが、各種振興事業や窮民救済を行った篤農家として知られ、武蔵野の新田開発に抜擢されて新田世話役となり、後には代官に取り立てられた。当時は、8代將軍徳川吉宗の号令で新田開発が進められたが、武士の指導による開発では農民の実情に合わなかったため、入植者の困窮が甚だしく、無惨な結果となった。そこで、農民出身の平右衛門を南北武蔵野新田世話役に登用し、新田開発事業を推進させた。平右衛門と農民の努力の結果、多摩郡・高麗郡・入間郡・新座郡にわたって約500ヘクタールの新田が開墾され、1743年に平右衛門は代官に任ぜられた。この後、平右衛門は美濃国に任地替えとなって河川工事等を行い、更に石見国銀山奉行を歴任し、1767年には幕府の要職・勘定吟味役兼諸国銀山奉行にまで登ったが、同年6月に74歳で没したと言う。
川崎平右衛門陣屋は、日光街道となっている市道近くの平地にあった。現在は一面の空き地で、解説板が立つほか、空き地の真ん中に「川嵜大明神」という農民が平右衛門の遺徳を偲んで建てた小祠が立っている。土塁らしいものも見られるが、解説板によれば遺構ではなく、開墾による破壊後に新たに作られたものらしい。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.934211/139.387504/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
ラベル:陣屋

