長崎城は、芸予諸島を中心に活動した海賊(水軍)の一、因島村上氏の初期の本拠地と推測されている。1557年に因島村上吉充は厳島合戦で得た尾道水道の南にある向島に新たに築いた余崎城へ居城を移すまで、約180年間の本拠地であったと伝えられる。余崎城へ移ってからは、一族の村上吉之が長崎城に入って守将となったと言う。
長崎城は、因島の南部、土生港南端にある比高15m程の独立丘陵に築かれている。現在はナティーク城山と言うホテルが建っているが、これは『日本城郭大系』によると、以前は日立造船因島工場の城山クラブという施設であったらしい。元は3段の曲輪があり、海岸には岩礁ピットもあったとされる。周辺は埋め立てされて大きく改変されているが、往時は海に向かって半島のように突き出ており、周りには船隠しがあったと推測されている。一応、県の史跡、及び日本遺産「“日本最大の海賊”の本拠地:芸予諸島」の構成文化財となっている城であるが、前述の通り丘陵全体が改変し尽くされており、地勢以外に城跡の痕跡はほとんど残っていない。わずかに城山西端に1段低く三角形の小さな平場があり、曲輪の痕跡を留めているだけである。岩礁ピットも、フェリーが発着する桟橋から見たが、わからなかった。
城山の現況→
↓MPI赤色立体図で見た長崎城(出典:全国Q地図〔国土地理院測量成果〕)お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/34.281163/133.180861/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

<村上水軍と毛利>村上水軍 系譜と毛利氏との関係 (歴史群像デジタルアーカイブス) - 森本繁

