新城城は、1575年の長篠合戦の際に長篠城を死守して織田・徳川連合軍の大勝の要因を作る大功を挙げた奥平信昌が、戦いの翌年の1576年に新たに築いた城である。信昌は、元の名は貞昌と言ったが、長篠合戦の大勝の後、織田信長は貞昌の軍功を称賛して偏諱を与え、以後奥平信昌と改名した。そして徳川家康の長女亀姫を娶り、家康の女婿として厚遇された。1590年に徳川氏が関東に移封となると、信昌は上野宮崎城に移った。その後、新城城は吉田城主池田輝政の所領となり、片桐半右衛門が城代となった。その後何人かの城主の交代を経て、1645年に一旦廃城となったが、1648年に旗本の菅沼定実が7千石で新城に入部し、城跡に陣屋を築いた。以後、幕末まで旗本菅沼氏の本領として存続した。
新城城は、豊川に臨む台地南縁部に築かれている。現在は新城小学校の校地に変貌しているので、遺構はかなり湮滅している。しかしグラウンドの南東端と南西端に土塁跡が残り、その裏手には深い堀跡がわずかに残っている。最近は不審者侵入防止などのため休日に閉門されている学校が多いが、ここは市の指定史跡でもあり、遺構が見れる様になっていたのはありがたかった。
南西部の堀跡→
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/34.896917/137.498085/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

図説・江戸三百藩「城と陣屋」総覧: 決定版 (東国編) (歴史群像シリーズ) - 溝口彰啓, 三浦正幸

