2026年02月11日

岩広城(愛知県新城市)

DSCN4641.JPG←主郭の現況
 岩広城は、鎌倉末期の1312年に設楽重清によって築かれたと伝えられる。設楽氏は元々増瑞寺屋敷を本拠としていたが、重清は豊川と半場川が合流点に突き出た断崖先端部に城を構えて本拠とした。以後設楽氏は岩広城を本拠とし、一族の城として来迎松城川路城を築いて勢力を拡大した。

 岩広城は、前述の通り断崖先端部の半島状台地に築かれている。城跡はほとんど水田や畑となっていて、明確な遺構は北東端にあるL字型の土塁だけである。またこの半島状台地の基部には一段低くなった畑地があり、堀跡のようであるが、堀形はかなり失われている。結局、改変が進んでいて往時はどのような縄張りの城だったのかはよくわからず、残念な状況である。尚、城から北東約350mの場所には、築城主である設楽重清夫妻の墓とされる「全光塚」がある。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/34.904312/137.516556/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

中世城郭の縄張と空間: 土の城が語るもの (城を極める) - 松岡 進
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ラベル:中世崖端城
posted by アテンザ23Z at 02:00| Comment(0) | 古城めぐり(愛知) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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