増瑞寺屋敷は、この地の土豪設楽氏が鎌倉時代に最初の本拠とした居館と言われている。設楽氏は、平安末期の武士伴助高の子孫で、助高は八名・設楽郡の領主となり、その子助兼は設楽大夫を称した。設楽氏は代々源氏とのつながりが深く、鎌倉時代に三河守護となった足利氏の被官となり、元弘の乱に始まる倒幕戦では足利尊氏に従う武将の中に設楽五郎左衛門尉の名が『太平記』に記されている。また鎌倉末期には、設楽氏は豊川沿いの岩広城に居城を移したらしい。戦国後期には徳川家康に従った結果、江戸時代には徳川家の旗本として家名を残した。
増瑞寺屋敷は、現在はその名の通り増瑞寺の境内となっている。増瑞寺は、1574年に野田城主菅沼定盈が創建し、長篠合戦後に新城城を築いた奥平信昌が再建した寺だと言う。遺構はかなり湮滅しているが、北から西にかけてL字型の空堀が残っている。ただ夏場に行ったので、堀が草木に覆われてしまっていて、規模が把握しにくかった。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/34.913642/137.517320/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

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ラベル:居館

