丸山砦は、長篠の戦いの際に織田方の佐久間信盛と武田方の馬場信房が奪い合った砦である。設楽原決戦場のほぼ北端に当たり、最初は佐久間信盛が陣を置いていたが、武田軍右翼の馬場信房が攻め取って占拠した。この勢いに乗じて武田方の真田信綱・昌輝兄弟、土屋昌次らが三段ある馬防柵の第一柵を突破し、激戦を展開した。この付近は大宮前激戦地と呼ばれている。
丸山砦は、連吾川の東岸にある小山で、車道脇から登道がついており、上まで登ると陣地の石碑が立っている。遺構はなく、自然地形をそのまま利用した陣場であったと思われる。そうであれば、他の長篠合戦関連史跡と同様に丸山陣地とか丸山本陣とか言うべきであるのに、なぜここだけ「砦」と呼ばれるのか、理由がよくわからない。現在は本当に小さな小山だが、古い航空写真を見ると現在の2倍以上ある山だったらしいが、近年削られたようである。それにしても、織田・徳川連合軍の中ではこの陣場だけが連吾川の東、即ち武田側の軍勢がひしめく中に突出している。全軍突撃する武田方からすれば目障りなことこの上なく、信房が攻めたのも当然であろう。もしかしたら、武田軍の突撃兵力を分散させるために、わざと突出した陣場を築いて攻撃を誘ったものかもしれない。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/34.925261/137.524798/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

武田勝頼 (シリーズ・中世関東武士の研究) - 平山 優
ラベル:陣所

