武田勝頼清井田戦地本陣は、長篠合戦の際、長篠城攻撃の本陣であった医王寺山から、織田・徳川連合軍が布陣する設楽原に向けて前進した武田勝頼が、最初に本陣を置いた場所である。
1575年4月、1万5千の大軍を率いて甲斐を発した勝頼は、全軍を4つに分けて三河に進出し、4月下旬に長篠城周辺に包囲網を敷き、医王寺山に本陣を置いた。5月18日、後詰めとして進出してきた織田・徳川連合軍は、設楽原に野戦陣地を作り始めた。医王寺山本陣で諸将と軍議を開いた勝頼は重臣達の反対を押し切って設楽原での決戦を決断し、5月19日に設楽原へ進軍を開始した。寒狭川を渡ってこの清井田に陣を進め、陣地検分の報告や合戦の打合せを行ったとされる。この後更に連吾川を見下ろす才ノ神に前進し、全軍を指揮して決戦に臨んだと言う。
武田勝頼清井田戦地本陣は、新東名高速の新城ICの南東の丘にあったらしい。周辺の地形は工場団地や道路建設で改変されてしまっている。丘の上には墓地があり、そこら辺りに陣を敷いたのかもしれないが、見るべき遺構もなさそうだったので、登道の途中にある石碑と解説板だけ見て撤収した。清井田本陣は、おそらく決戦を前にした勝頼が一時的に陣を置いて敵情を探っただけの中継地で、陣城としての構築はほとんど行われなかったのではないかと思う。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/34.922787/137.539704/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

武田三代 信虎・信玄・勝頼の史実に迫る (PHP新書) - 平山 優
ラベル:陣所

