2025年07月17日

祢津城(長野県東御市)

DSCN7138.JPG←長大な二重竪堀
 祢津城は、祢津下の城とも言い、この地の古くからの豪族禰津(祢津)氏の本城である。禰津氏は信濃の名族滋野氏の一族で、海野太郎則重の孫道直が禰津小次郎を称し、その子貞直は諏訪大祝貞光の猶子となって神(みわ)氏となり禰津神平を称した。その名は平安末期の保元の乱で、源義朝に従う信濃武士の中に見える。禰津氏は滋野氏一族の中で、海野氏・望月氏と並んで滋野三家と呼ばれ、平安末期以後、信濃国小県郡から上野国吾妻郡まで広大な勢力を有していた。1180年6月の木曽義仲の挙兵の際には、禰津次郎貞行・同三郎信貞が参陣し、1190年の源頼朝の上洛の際には禰津次郎が随兵に加わり、1221年の承久の乱では禰津三郎が幕府軍に加わった。その後しばらく禰津氏の名は史料上に見えなくなるが、南北朝期に至って再び現れる。即ち『太平記』によれば、1338年の新田義貞の北陸越前での戦いにおいて、禰津(太平記では禰智と記される)掃部助・同越中守が、新田勢に属して戦った。1351年の武蔵野合戦の際には、笛吹峠に陣を敷いた宗良親王・新田義宗の軍勢に禰津小次郎・舎弟修理亮が参陣した。しかし南朝方が敗退すると、やがて北朝方に帰順したらしく、1359年4月、四条隆俊率いる紀州南朝方を畠山義深を大将とする北朝軍が攻撃した紀州龍門山の戦いでは、禰津小次郎は北朝方として戦った。以後も大塔合戦、結城合戦などにその名が現れており、信濃の有力氏族として活動してきたことがわかる。戦国中期の1541年、甲斐の武田信虎が諏訪頼重・村上義清とともに海野平に侵攻すると、禰津元直は武田氏に降り、以後武田氏に仕えた。元直の娘が信虎の嫡男晴信(後の信玄)の側室となり、元直の嫡男政直(松鴎軒常安)に信虎の娘を娶るなど、武田氏との紐帯を強め、信玄の代に武田氏が周辺諸国へ勢力を拡大するとその一翼を担って活躍した。政直の子月直が長篠の戦いで討死すると、甥の宮内大輔昌綱が家督を継いだ。1582年、武田氏・織田信長が相次いで滅亡し、北条・徳川・上杉三氏による武田遺領争奪戦「天正壬午の乱」が生起すると、昌綱は最初北条方に付き、北条氏から離反した真田昌幸の攻撃を受け、後に真田氏に降伏した。第一次上田合戦の前哨戦で徳川勢が祢津城を攻撃するため城に迫ると、禰津氏は城を放棄して上田方面に逃れた。その後、上杉氏を介して真田氏の重臣となって続いた。一方、昌綱の伯父常安・信政父子は徳川氏に仕え、上野国豊岡で1万石を領し、大名に列した。

 祢津城は、上信越自動車道の東部湯の丸SAのすぐ北にそびえる標高825m、比高140m程の城山に築かれている。目立つ山なので以前から気になっていたが、今回ようやく行くことができた。祢津下の城と呼ばれる通り、北東約920mの山上に祢津上の城がある。南東中腹から登山道が整備されているので、迷うことなく登ることができる。山頂には南が膨らんだ長円形の主郭を置き、その北に腰曲輪1段と堀切を挟んで舌状の二ノ郭、二ノ郭の北に腰曲輪状の三ノ郭を置き、その北の尾根には3つの堀切を間隔をおいて穿っている。主郭は周囲に土塁を廻らし、南側に虎口を築いている。虎口の下には主郭外周を廻る腰曲輪があり、南東角に大手虎口が築かれ、石積が残っている。更に南斜面に数段の帯曲輪があり、最下方の帯曲輪は、南から西面を城全体を覆うように築かれていて、南側部分は横堀状を呈し、中央に虎口を築いている。この城で面白いのは、主郭の北に築かれた腰曲輪で、普通は主郭からいきなりズドンと大堀切を穿っているが、ここではわざわざ1段曲輪を築いている。この方が防御性が増すという縄張り設計者の見解なのだろうか。この大堀切は東西に竪堀となって長く落ち、竪土塁を伴っている。三ノ郭は北西部を除いて土塁を築いており、西端部から竪堀を落とし、東下方には二ノ郭東側まで続く腰曲輪を築いている。三ノ郭の切岸には石積が見られる。三ノ郭北側の堀切は、西は竪堀となって落ち、東側は円弧状となり、その先で鋭角に北東に向かって折れ、竪堀となって3本堀切の2本目から落ちる竪堀と合流している。ちなみに3本堀切の2本目は、尾根上には掘られておらず、両側方に落ちているだけである。2本目の先の尾根は窪地になっており、『信濃の山城と館』では池としている。その北に3本堀切の3本目が穿たれている。3本目の西側はもう1本竪堀を伴い、下方でY字合流している。東側は長い竪堀となって落ちている。ここで注目すべきなのが東側の長い竪堀で、前述の3本堀切の1本目・2本目が合流して落ちる竪堀と並行して、長大な二重竪堀となっているのである。しかも中間土塁には所々に石積も残っている。以上が祢津城の遺構で、コンパクトな城であるが、なかなか創意工夫された縄張りとなっている。
主郭→DSCN7066.JPG
↓CS立体図で見た祢津城(提供:長野県林業総合センター)
CS立体図_祢津城.png.jpg

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.378916/138.348446/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

信濃の山城と館: 縄張図・断面図・鳥瞰図で見る (第3巻(上田・小県編)) - 宮坂 武男
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ラベル:中世山城
posted by アテンザ23Z at 02:00| Comment(0) | 古城めぐり(長野) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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