霧久保城は、歴史不詳の城である。伝承では、何某越中という武士が居城していたと言うが、明証はない。手城塚城の西の備えとして重要な位置にあり、富士見城と結んで千曲川沿いを押さえる要衝であったと推測されている。
霧久保城は、千曲川北岸の段丘上にある標高607m、比高30m程の小山に築かれている。東側の車道脇に解説板が立ち、登道が付いている。しかし登道沿いの東斜面は薮がひどく、曲輪の切岸は確認できるが、曲輪の形状はほとんど把握することができない。しかし途中には石積みのある枡形空間などが見られ、城郭遺構の可能性がある。山頂に主郭があり、その西側に1段低く二ノ郭がある。二ノ郭の西側は比較的斜度のきつい斜面となっており、二ノ郭南西部の虎口から城道が斜面を下っている。この西側斜面だけは腰曲輪がないが、それ以外の三方の斜面には多数の腰曲輪群が築かれている。主郭・二ノ郭を始め、腰曲輪群の切岸には多数の石積みが見られる。しかし以前は全山耕地化されていたと思われ、その際の土留の石積みも含まれているので、どこからどこまでが遺構の石積みなのかは判別が困難である。ただ主郭・二ノ郭周辺の石積みなどはかなり大きな石も積まれており、遺構と見てよいのではないかと思う。また北東に伸びる舌状の腰曲輪群周囲の石積みも、遺構と見て良さそうである。城のある小山は北側に堀状の低地があって、段丘と切り離されている。以上が霧久保城の遺構で、もし全山に広がる石積みのほとんどが遺構であるならば、その縄張りも含めて富士見城とよく似ており、同じ築城主体が築いた城と考えられる。
北東の腰曲輪群の石積み→
お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.335241/138.395413/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

信濃の山城と館1 佐久編 縄張図・断面図・鳥瞰図で見る - 宮坂 武男
ラベル:中世平山城

