清水城は、南北朝時代に足助氏の代官であった菜倉左近蔵人の居城と伝えられる。1334年頃に在任し、近隣28ヶ村を支配したと言う。菜倉氏は足助氏と共に南朝方に付いて戦った。2代右衛門佐伊武は跡継ぎがなく、新田氏から孫六兼氏を養子に迎え、一時新田氏を称した。
清水城は、比高20m程の小山に築かれている。頂部に弓形に曲がった形の主郭を置き、その西に虎口を築き、前面に1段低く二ノ郭を配置している。二ノ郭は小さいので、実質的に虎口郭と思われる。主郭・二ノ郭の東から南にかけて、円弧状に帯曲輪が廻らされている。二ノ郭の西側下方には2段の平場が見られるが、耕地化で改変されているらしいので、曲輪としての名称が付いていない。しかし帯曲輪と接続していること、二ノ郭下方を押さえる場所であることから、原型を留めていないかもしれないが三ノ郭があったと推測される。この平場の付け根の北側には竪堀が落ちている。主郭北側下方には円弧状に堀切が穿たれ、そのまま西側に斜めの竪堀となって落ちている。堀切の北には尾根が続くが、西側が採土で削られているなどかなり改変されているので、土塁や堀状地形が見られるが、構造がはっきりとは捉えられない。以上が清水城の遺構で、小土豪が構築した小規模な城砦である。
堀切から落ちる竪堀→
↓スーパー地形で見た清水城お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.177485/137.530482/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

東海の名城を歩く 愛知・三重編 - 中井 均, 鈴木 正貴, 竹田 憲治
ラベル:中世平山城

