2025年06月29日

鍬塚城(愛知県設楽町)

DSCN6002.JPG←大手郭上方の小郭と石積み跡
 鍬塚城は、名倉奥平氏の支城である。城主は戸田加賀守と伝えられるが、これは名倉奥平氏2代奥平信光の異称で、要は寺脇城主名倉奥平氏の持ち城であったと言うことであろう。信光は武田信玄の没後に徳川氏に服属し、1575年の長篠合戦でも鳶ヶ巣山砦の奇襲隊に参加しており、1581年には織田信長の命により三信国境の城を固守するよう命じられている。『信濃をめぐる境目の山城と館』では、鍬塚城はこの頃に修築を受けた可能性が高いと推測している。

 鍬塚城は、集落から離れて奥まった、標高795mの城山に築かれている。北・東・南の三方を急崖で囲まれ、西の尾根筋だけが唯一の接近ルートであるという要害の地にある。北西の大野山方面から林道があり、更に山中に入り、斜面をトラバースする小道を抜けると尾根に至り、そこから尾根道を辿る道がある。最初の林道は荒れていて、普通の車では通行は難しいので、林道に入ってすぐに曲輪を脇に止めて、歩いて訪城した。山中に入る登り口からでも遠い城だが、登り口や尾根道入口など要所に城への案内杭が立っているので安心である。大手に当たる西尾根から接近すると、両側方を竪堀で穿っており、その先に大手郭と思われる平場がある。その上に2段の小郭があって、大手の防衛をしている。上の小郭の切岸にはわずかな石積みが残っている。その上に長円形の主郭が築かれている。主郭は北から西にかけて土塁が廻らされ、南と東に虎口が開かれている。主郭の南には南1郭・南2郭の2段の段曲輪、北には2段の小郭の下に北郭が築かれている。大きさと構造から見て、この北郭が実質的な二ノ郭と見て間違いない。北郭の西辺にも土塁が築かれており、このため北郭から主郭西側に伸びる帯曲輪は横堀に近い形状となっている。主郭・北郭の土塁上や段曲輪の切岸には、石が散乱しており、石積み跡であった可能性がある。以上が鍬塚城の遺構で、小規模な城だが防御思想が明確に読み取れ、東方への監視と防衛を担い、少人数で守りを固められる城だったと思われる。
北郭→DSCN6050.JPG
↓スーパー地形で見た鍬塚城
Screenshot_鍬塚城.jpg

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.135370/137.573777/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
ラベル:中世山城
posted by アテンザ23Z at 02:00| Comment(0) | 古城めぐり(愛知) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
コチラをクリックしてください