下小倉堀ノ内は、大桶城とも言い、宇都宮城主宇都宮国綱の家臣大桶備前の屋敷跡であるらしい。大桶氏は、元々那須郡に居たが、宇都宮氏に仕えて小倉郷を拝領し、堀ノ内地区に大桶館を建てたとされる。大桶氏と言えば、那須氏麾下の根古屋城(大桶城)主大桶氏があり、1590年に主家那須氏改易と共に没落しているので、もしかしたら那須氏改易後に宇都宮氏に仕官して、この地に入部したのかもしれない(官途も同じ備前守である)。1597年、宇都宮氏が改易となると、大桶氏はこの地で帰農したと言う。近くにある清泉寺には、大桶備前夫妻の墓があると言う。
下小倉堀ノ内は、現在は民家となっており、その南と東に土塁が残っている。これが、宇都宮氏改易前からあった城館(大桶館)なのか、それとも帰農後に構えられた屋敷なのかは不明であるが、昭和20年代前半の航空写真を見ても、この下小倉地区では図抜けて大きな屋敷地であり、江戸時代にこの地の名主として続いた名家であったのだろう。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.687599/139.920588/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
ラベル:居館



当ブログにご訪問いただき、ありがとうございます。
また貴重なお話もお聞かせいただき、たいへん嬉しく思っております。古くからの伝承が、次世代に受け継がれることなく、儚く消えていってしまうことが、近年は国内のどこでも懸念されていますので、このブログが下川様の貴重なお話を後世に伝える一助になれれば、これに過ぎる喜びはありません。
引き続きご愛顧のほど、よろしくお願いいたします。
このブログに出会いました。
現在は栃木県を離れ遠方に嫁ぎ47年が経ちました。
私が生まれ育った家の近所です。
子供の頃
『おおおけのばぁちゃんち』と言ってました。
国道から大桶さんのお宅までの参道の両側は田んぼがありました。
右側の田んぼはちょっと低くて左側の田んぼは参道より120cmくらい下がった田んぼでした。
参道は漬物石くらいの石が綺麗に積み上がってました。
土塁の下のとこには農業用水路のような小さな小川が流れてました。
母はここは昔大きな川だった(お堀?)と言ってました。
土塁を通る(大門)とまた両側は田んぼでした。
参道とは違いこの道は両側に木が植えてありいつも綺麗に刈り込まれてました。
おおおけのばぁちゃんはとても品の良い方でした。
結婚されてなくお一人で住んでおられました。
おおおけのばぁちゃんをお世話するご家族がばぁちゃん宅の後ろにありました。
精米所をしてました。
土塁は私たちの遊び場でした。
滑り台を作って(近所のお兄ちゃん達が)滑ったり大きな木があったのでそこにブランコを作ったり、冬は林の裏側の田んぼに水を溜めてスケートしました。
土塁には小さな穴?が幾つかあって子供の私達はかくれんぼでそこに隠れました。
動物が開けた穴って感じではなく人間が掘った感じは子供心にも理解してました。
母親は他所から嫁いできたので元々のことはどこまで知っていたのか分かりません。
ただ大地主であったこと。
偉い人の子孫であることは聞きました。
今回ブログと出会い
城跡であったことを知ることが出来嬉しくなりました。
ありがとうございます。
少しでも記憶のある私が記憶のバトンを渡したいと思いコメントさせて頂きました。
今後ます益々のご活躍を願っております。
下川