手子塚城は、戦国時代に長沼郷と千曲川支流の鳥居川流域を支配した島津氏が築いた城と言われている。島津氏は、長沼に館を構え、詰城として大倉城を築いていたが、手子塚城は大倉城の出城と考えられている。千曲川西岸の独立小丘に築かれた平山城で、対岸の立ヶ花城と共に千曲川の渡し場を押さえ、対岸の高梨氏に備える防御拠点であったと推測されている。
手子塚城は、比高20m程の小丘に築かれており、主郭には諏訪神社が祀られている。一部改変を受けているものの、主要部の遺構はよく残っており、主郭周囲に梯郭式に腰曲輪を幾重にも巡らした構造で、腰曲輪には土塁と浅い堀切が築かれている。北には更に数段の段曲輪を構えているが、畑に変貌した舌状に伸びた平場が広がっており、どこまでが城域なのか、改変ではっきりしない。いずれにしても交通の要衝を押さえる比較的小規模な城砦だった様だ。
お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.726038/138.306284/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0f0
ラベル:中世平山城