徳倉城は、徳倉ノ堡とも呼ばれ、小田原北条氏が築いたと考えられる城である。箱根外輪山から伸びる裾野の南西端の丘陵地に位置している。一説には、駿河戸倉城主北条氏堯の家臣笠原新六郎の弟がこの城の城主であったとも、或いは津田兵部が徳倉城主となって江間を領したとも言われている。その他の歴史は不明である。
徳倉城は、徳倉地区の城山と呼ばれる比高30m程の丘陵上に築かれており、狭小な主郭と数段の腰曲輪からなる小規模な砦であったと思われる。南北に細長い主郭には土塁と背後を分断する堀切が残っている。かつては前面にも堀切があったらしいが、現在は完全に埋もれている。主郭南には2段程の曲輪と思われる平場が残っている。周囲は耕地化しており、城の東西の斜面にも段々の平場が広がるが、遺構かどうかは不明である。主郭の北側には、間近まで住宅地が迫ってきており、今後宅地開発による湮滅の危険性もある様だ。西の尾根の先端にある八乙女神社は、一説には出丸だったらしい。私が行った時は、丁度神社の秋祭りで、露店などが出て賑わっていた。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.144293/138.915722/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1